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  • 2007.07.28 Saturday
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演出ノート 「遅れている時計」と「止まった時計」


あなたの時計は本当に「正確」ですか?

制作・演出 松本こうどう

ここに1分「遅れている時計」と全く「止まっている時計」がある。さて、どちらの時計の方がより「正確」であろうか。

1分「遅れている時計」は仮に持ち主が1分遅れている事を知らないで使っていたとしても生活上の使用にほとんど影響がない。一方、全く「止まっている時計」は(骨董品や美術品としての価値がある場合を除き)全く利用価値がないから、使用可能な時計ではない。だから、人は1分「遅れている時計」を使用可能な時計として選ぶ。そして、人は1分「遅れている時計」の方がより「正確」と思う。これは「正しい」判断である。

だが「正確にはどちらがより正確か」という問題になってくると実は話は別である。そう、「正確」が常に「正しい」ということでない場合の話である。

1分「遅れている時計」は1分遅れて針が進んでいる以上、1日24時間中に「正確」な時刻を針が指す事は一度もない。すなわち、「正確」な時は絶対にない時計である。しかし、「止まった時計」は違う。

仮に3時を指して止まっているアナログ時計があった場合、1日に3時は2回あるから、この「止まった時計」の針は1日に2回は必ず「正確」な時刻を指していることになる。すなわち、「正確」な時が必ずある時計である。だから、1分「遅れている時計」と「止まった時計」のどちらがより「正確」かというと、答えは「止まった時計」という事になる。理論上はそういうことになる。(実際には現実の時間に「止まった時計」の針が指す時刻があるというだけなのだが)

理論上はそうであっても、日常の生活には「止まった時計」は全く使えない。いくら1日に2回も「正確」な時を刻んでいるとは言っても、いつがその「正確」な時であるのかが分からないから、結局は全然使いものにならない。「正確」であっても「正確」な時が「正確」に分からない。「正しければ良いってもんじゃない」というのはこういう場合に言うセリフである。(この場合の「正しければ」は、実はこういう「正しい」鎧を着た「間違っている事」を指しているのである)

だが、実社会ではこの「止まった時計」の理論でものごとが運用されている場合が多い。いくら全体的におかしくても、その中の「正確」な部分だけに目を向けて「止まった時計」と「遅れている時計」の話のごときに、こちらの方が「正確」であるということにされてしまう。銀行や役所、公的団体、学校関係者などには、いまだにこういった理論展開で話を進めている社員や職員の人たちがいる。カネ儲けだけがいかに正しいかを「勝ち組」と「負け組」の形容で理論展開してきた連中もそれを支持したメディアも同じである。

誰しも経験があると思うが、「正確」だけを基準に事を進め、現実に合わなくても「これが正しい」と「止まった時計」もどきの理論を利用して「本来はこうだ」と言われると反論のしようがない。どう考えても庶民の実社会には合わない理論展開であるのに、この理論の主張側にとってはそれが「正論」ということになっている。事実「正論」である。しかし、本当は「正しい」鎧を着た「間違った正論」である。そう、本当はそれは「止まった時計」である。

おわかりとは思うが、実社会では庶民は「遅れている時計」の感覚で物事を進めている。実社会には全く「正確」な事などあり得ないはずである。絶対に正しい事などあり得ないはずである。だが、間違えてはいない。「止まった時計」の理論に比べるとより「正確」ではないかも知れないが、大きな流れではより「正しい」選択をしている。これが「正しい」現実感覚である。

それに気づかずに、「止まった時計」の方が「正確」であるとするから、庶民感覚を無視してカネがすべてに優先する考えがまかり通る。銀行も学校も病院も役所も公然と弱者排除を行う。だが、忘れてはいけない。いくら「止まった時計」はより「正確」であっても本当は全く利用価値がない。そう、今の日本の銀行や学校、病院、役所などと同じである。いまだに彼らの「時計」は「止まっている」のである。

役者が役作りで何かになりきる。その仕事をした事がなくてもその職業人らしく演じる。演出家もこうしたら良いと演技の方向性を示す。こうやって出来上がる「役」を見て良く「微妙にホンモノと違う」とか「正確」ではないと指摘をされることがある。なるほど、全体的に役作りの方向性は合っていても「遅れている時計」と同じで「正確」ではないのかも知れない。

例えば、ドラマなんかで「あんな刑事や医者は現実にはいない」なんて場合がある。しかし、その役どころの「刑事」や「医者」はドラマでは人気だったりする。一方、現実の警察や病院には人気どころか問題のある「刑事や医者」がたくさんいる。考えても見て頂きたい。子どもたちに夢を与えるのはこういうドラマの中の現実にはいない、「正確」ではない「刑事や医者」たちである。これもまた先と同じ「正しければ良いってもんじゃない」ということである。

物語はいつも現実をモデルに描写しているとは限らない。庶民感覚の理想をモデルとして描いている場合も多い。作家や演出家は現実の「止まっている時計」をせめて物語の中では少なくても「遅れている時計」くらいには変えたいのである。

実社会でも物語でも「コレって違うんじゃないの」と思ったときには、ぜひとも「遅れている時計」と「止まっている時計」の話を思い出してみてほしい。

そして、何が「正確」かではなく、何が本当に「正しい」かを判断してほしい。

コピーライト2006 松本こうどう

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  • 2007.07.28 Saturday
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