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  • 2007.07.28 Saturday
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演出ノート 「打ち上げ」が本番

オフイス風景 1
制作ルーム やはり企画は難しい・・・

制作・演出 松本こうどう

打ち上げと言ってもロケットの打ち上げではない。イベントの「打ち上げ」である。

イベント終了後に制作に携わった裏方がお互いの労をねぎらうために開くパーティである。もちろん、出演者も参加する場合もあり、彼らと裏方、業界関係者との懇親会的な役割もある。

最近、この「打ち上げ」で気になることがある。本番の制作よりも「打ち上げ」が本番のごときに、その「打ち上げ」だけで盛り上がる輩が多くなってきたことである。何も酒を飲んでバカ騒ぎをすると言った話ではない。「打ち上げ」の準備と開催に本番の制作や運営よりも力を入れて本末転倒であると言ったことでもない。では何かと言うと、制作準備や本番には力を入れていたわけでもないのに、「打ち上げ」の席ではあたかも自分たちがイベントで大変な努力をしてきた真の功労者であるかのように、その場で話を盛り上げてしまう連中がいる事である。これは若者より年配者にその傾向が強い。

「打ち上げ」ではお客様やスポンサー関係者は立てなくてはならない。当たり前のことだから、それは良い。問題なのは他の制作スタッフの苦労と努力を「打ち上げ」の場で自分たちの功績にすり替える錬金術師たちである。

大きなイベントの場合などでは200人近い大勢のスタッフが一同に集まって「打ち上げ」が行なわれる。みんな担当も部署も違い、制作過程では顔も知らないスタッフ同士が「打ち上げ」で集まる。お互いの事情を知らない者たちの集まりである。こういう場では錬金術師が現れる。

「打ち上げ」の場では、制作の準備段階から一生懸命にやってきて、当日も多忙であった担当部署のスタッフほど意外と静かである。ちょうど燃え尽きたあとの花火の残り火のように充実感のあとの余韻にひたっている。「打ち上げ」は充分に楽しんでいる。だが、何もバカ騒ぎしなくても充分に嬉しい。これが真に仕事をした者の姿かも知れない。

それに比べて、制作準備段階では他の予定を優先してあまり力を入れてなかったり、手を抜いて当日もあまり活躍する場がなかったりしたスタッフは、せめて「打ち上げ」の場での充実感だけでも味わおうとする。仕事で燃え尽きていないから、その場のサボった仲間の「連帯感」でまとまろうとし、彼らにとって「打ち上げ」がイベントの「メインイベント」となる。仕事で手を抜いた分、「打ち上げ」では生き生きとする。

そんなときには必ずそれらの「連帯感」をまとめる仕切り役も登場する。大抵の「仕切り役」はちょっと年配者である。制作準備段階の会議には適当にしか参加していなかったはずの中間管理職クラスの人がお客様やスポンサー関係者を前にした「打ち上げ」では突然にそのイベントの「仕切り役」になる。会議では無責任な発言と態度しか見せなかった人が、いつの間にか責任感の強い陰の立役者になっている。

「仕切り役」はイベントの功労者を褒め称えて主役として立てつつも、実は自分のペースで(司会者でもないのに)勝手に会を進行させて、イベント本番ではなかったはずの自分の居場所を「打ち上げ」の場を利用して作り上げる。あたかも皆の知らないところでは自分は重要な位置に存在していたかのようにふるまう。知ったかぶりで、イベントに欠点があったと論評する。

しかし、実際には制作の肝心な部分には関係していないから、知らないことやわからないことが多い。そこで、いろいろとバレる前に先の「連帯感」を利用する。この「連帯感」の持ち主は若者たちが構成員である。彼らはイベント制作では手を抜いていたがお祭は大好きである。本番では出番がなかったが、「打ち上げ」では充実感を得たいと思っている。自分たちも盛り上がりたいと思っている。こんなときに自分たちの思いを「打ち上げ」の場で酌んでくれる「仕切り役」はありがたい。ここで彼らの足並みが揃う。イベント制作中にはあり得なかったチームワークである。

「仕切り役」はイベントの功労者や主役陣の挨拶がひと通り終わったところで自らの演出に入る。まずは自分の過去の話で、自分にはいかにスゴい活躍があったかを皆の前でさり気なく、だがしっかりと述べる。そのイベントとは全く関係ない話だが、まわりの反応を気にしないで自分のペースを作り始める。まわりもその雰囲気にのまれる。そこから、あたかも自分は影の功労者にも目を向けているとばかりに件の「連帯感」をうまく取り入れる。

「仕切り役」は司会者も仕切り始める。「連帯感」構成員にマイクを持たせて、あたかも彼らが影の功労者であったかのように報告をさせる。彼らも喜んで報告を始める。意味のない報告だが、「連帯感」構成員たちで盛り上がる。彼らのイベントの始まりである。「仕切り役」はいちいち報告に感激のコメントをつける。あたかも影で自分が動いていたかの様に締めくくる。

そしてここが肝心なのだが、本当のイベントの功労者や主役陣に対して、「君達も良くがんばってくれた」と称える。別に自分は管理ポジッションにいるわけでもないのに「良くやってくれた」と称える。誰もが認める真の功労者を称えることによって、イベントにおける自分の超越した立場を勝手に作り、「打ち上げ」における自分の居場所を確実なものにする。功労者たちが、苦笑いをしながら賞賛を受けたときにはもう「仕切り役」の術にはまっている。

「打ち上げ」参加者の意識には、このイベントは皆でがんばった、やはり・・・さん(仕切り役)がいないと事はまとまらないとインプットされる。こうして彼らの「打ち上げ」イベントは盛況のうちに幕を閉じる。これは「打ち上げ」ジャックによるイベント功労の横取りである。

もしかすると「打ち上げ」というのは本来こういう輩のためにあるのかも知れない。そもそも「打ち上げ」とい名称がヘンである。スペースシャトルは「打ち上げ」で飛行というイベントが始まるが、決して帰還後に「打ち上げ」というプロセスはない。だから、イベントの始まりのパーティである前夜祭が「打ち上げ」と言うならわかるが、そうではなくイベントの終わりのパーティが「打ち上げ」と言うのは何故なのか。

やはり、イベント中に燃えずに打ち上がらなかった連中のために、イベント終了後に「打ち上げ」があるのかも知れない。そして「打ち上げ」で連中は確実に燃え上がる。打ち上がる。最後に打ち上がって勝つために、「打ち上げ」は彼らが考案したイベントであった。

「打ち上げ」で初めて打ち上がる連中はどこの会社にもいる。「打ち上げ」の意味がわかった気がした。

コピーライト2006 松本こうどう

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